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海難事故

先週からニュースを賑わせているのは韓国の旅客船の沈没事故。

ニュースの一報を見た時、船は傾いていたが沈んではいなかった。

沈没するまで大多数の人たちが助かるだろうと思っていたのに・・半数以上が行方不明者になってしまった。

船の乗組員もそうだし、陸から救助する側にも問題があり、指揮の甘さが指摘されています。

本日、ロータリークラブの会員が教えてくれたある海難事故のお話は、私の心を揺さぶりました。

昭和45年2月9日 千葉県沖合で大型貨物船 かるふぉるにあ号が低気圧の影響で大波を2度受け航行不能になり沈没しました。

かるふぉるにあ号の船長は住村博士(すみむら ひろし)さん。乗組員は船長以下29名。

住村船長はただちにSOS信号を出した後、乗組員を救助させるべくすべての手段を尽くします。

そうして24名の乗組員を救助した後、自らは退船を拒否しデッキから船内に入り、船とともに殉職されました。

一般社団法人日本船長協会のホームページによるとこう記されています。

『救助された二等航海士は最後の救命ボートに移乗するにあたり、船長に同乗するように懇願したが、船長は「若い君たちこそ生きなければならない」と言って船に残ったと伝わっている。住村船長は当時まだ44歳、家庭には3人のお嬢さんがいたという。』

昭和45年といえば、1970年です。大阪万博の開催年です。ついこないだです。

しかも44歳って、人生これからという時に・・。

住村船長の行動は当時の船員法に基づくものだったのですが、この事故が起こってから船員法は改正され、船長が船と一緒に運命を共にすることはなくなったのです。

ちなみに住村博士船長は今治市出身(旧大西町)の方で、今治市内にある藤山健康文化公園に胸像があります。

小学校、中学校の同級生がお金を出し合って作ったとの事。

と言っておきながら、私は住村博士船長のことも、胸像の存在も初めて知ったのですが・・。

ただただ郷土の名士が、せつなく、誇りに思ったのです。

ロータリクラブの会員は最後にこう言いました。

「住村船長の名誉のために付け加えますが、沈没原因は運転ミスでなく、造船の溶接技術が未熟だったからです。」

韓国の生き残った乗組員は、事故究明と再発防止に努めてほしいものです。

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