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立川談志師匠のこと

落語家立川流家元 立川談志師匠がお亡くなりになりました。

立川談志師匠は、落語界において大きな存在であり、私にとっても訃報はかなりショックです。

思い出話をいろいろ。

談志師匠の存在を知ったのは、私が小学校上がったばかりのころ。

テレビ番組 ”笑点” の司会者されており、上から読んでも、下から読んでも 「だんしがしんだ」 というフレーズを誰かが言っていたのを強烈に覚えていたのです。

初めて談志師匠のライブを見たのが、19歳の時 新宿末広亭という寄席で、「五貫裁き」という落語を演じました。

他の落語家が何を演じたのかは記憶に残っていませんが、談志師匠の落語は今でも鮮明に残っています。

その印象は、初めてストリップを見た衝撃に似たものでした。

・・・何なんだこの人は・・・

私が入部していた落語研究部が、談志師匠の落語に傾倒している先輩が多くいたせいもあり、それから談志落語を選んで見るようになりました。

九段会館で見た「ねずみ穴」、テレビ番組花王名人劇場の公開収録で見た先代円楽師匠とのリレー落語「お化け長屋」、国立演芸劇場での ”ひとり会”  で観客からのリクエストに応じた「化け物使い」、赤坂での「三軒長屋」、横浜での「芝浜」、渋谷のライブハウスで見た「夕立勘五郎」、東横落語会での「小猿七之助」 など等、見た場所と演題が今でも思い出されます。

そのぐらい、私にとっても印象深い落語家でした。

池袋演芸場の主任(トリ)を見に行った時は、先代の金原亭馬生師匠がお亡くなりになった日でした。

私は、馬生師匠が亡くなった事を談志師匠の高座で知りました。

馬生師匠との思い出話をしみじみと50分ほどし、「今日はこれで勘弁してほしい。」 と言って高座を終えました。

今まで見たことのなかった、談志師匠の一面を垣間見ることになり、これも思い出の一席になります。

厚木では、終演後ロビーで待っていると、談志師匠が出てきて握手をしてもらいました。

「今日はありがとう。また見に来てください。」

笑顔の師匠と手のぬくもりが忘れられません。

・・・だんしがしんだ・・・

「落語とは人間の業の肯定」 と定義付けし、逝ってしまった談志師匠に合掌なのですが、やはり残念でなりません。

コメント一覧

  1. 河北泰三 より:

    楽火星!久しぶりだな。
    SWAの公演行くみたいだな。
    行ったら、楽屋へ行って昇太先輩に挨拶しとけよ。

  2. 楽火星 より:

    先輩大変ご無沙汰してます。
    かなり前から具合が悪かったんですね。最後に観たのはいつだったか?
    野ざらしだったと記憶していますが・・・・。
    来週SWAの公演があるので皆さん何を話してくれるのかなーと思ってます。
    そう言えば、家の近所の神社で談志の千社札を見つけました。
    毒蝮三太夫もあります。かなり古そうなので笑点時代ですかね。
    今のうちにいろいろな人を観ておこうと思いました。

  3. 河北泰三 より:

    コメントありがとうございます。
    談志師匠の死去に対して、マスコミの取り上げ方の大きさに、私もびっくりしました。
    自ら“落語己派(らくごおのれは)”と称した談志師匠のライブを多く目の当たりにできたことは、私にとって財産です。

  4. RB3 より:

    おはようございます
    今日の日経新聞の春秋でも落語家立川談志のことが書かれていましたが、落語に縁もゆかりもない私にとって、今回の一落語家逝去の話題が思う以上にマスコミに大きく取り上げられていることがものすごく驚きました。
    口の悪いおっさんという印象が強いですが、良くも悪くもいろんな評価を目にして落語界において新時代を創った破天荒な天才だったのですね。

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