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忠臣蔵

12月14日といえば、日本人にとって忠臣蔵の日といっても過言ではありません。

時は1702年(元禄15年)12月14日の未明に、君主の仇を討つべく、赤穂浪士47人が吉良上野介(きらこうずのすけ)邸を襲撃したという事件。

歌舞伎はもちろん、文楽、映画、テレビドラマ、演劇、アニメ と、ありとあらゆるジャンルで日本で一番多く上演された戯曲であることは間違いありません。

映画だけでも40作品近く製作されていて、ざっと3年に一回は製作されていたことになります。

1994年は、松竹で ”忠臣蔵・四十七士の刺客”、東宝で”忠臣蔵外伝 四谷怪談” と同じ年に同じモチーフで同時期に公開されています。

どうしてそこまでして忠臣蔵を製作するのかと言えば、集客があるからです。

もっとわかりやすく言えば 『儲かる』 からです。

ここで、忠臣蔵のことを知らない方にワンポイントレッスン。

赤穂藩藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は、徳川幕府の上司である吉良上野介(きらこうずのすけ)にいつもイジメにあっています。

そのイジメは、武士としてプライドを傷つけられるものばかりだけでなく、自分の女房にも色目を使いはじめたのです。

そして運命の日、1701年(元禄14年)3月14日に江戸城内で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は、吉良上野介(きらこうずのすけ)に刀を抜いてしまい、即切腹となったのです。

この時に出た有名な言葉 「殿中でござる。」

事件の経緯とか、精神状態がどうであったとか、まったくお構いなしで、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は即日切腹、吉良上野介(きらこうずのすけ)はお咎めなし。

その結果を不服とする浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の部下である家臣・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)以下47人の赤穂浪士が、吉良の首を取った日が、12月14日なのです。

当時の庶民・大衆にとって、この忠義心あふれる赤穂四十七士の行動は日本人としての誇りと感じたのでしょう。

江戸城刃傷事件から、くしくも47年後に人形浄瑠璃 『仮名手本忠臣蔵』 として戯曲化され、264年経った今でも上演され続けています。

日本人の好きな要素がたくさん盛り込まれているとはいえ、史実に基づいていることが長く愛されているのだと思います。

とはいえ、今や平成の時代。

忠義心どころか、その言葉さえも薄れてきています。

心ひとつに、がんばろうニッポン と本日12月14日、あらためて思うしだいです。

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